1248年6月26日にドイツ ハーメルンの町で130人の子供たちが行方不明になった事件。当時の庶民の生活のありかたから探りこの話の本質は一体なんだったのか?それを徹底的に分析してくれている。
著者によると、当時のハーメルンの人々の悲しみにと苦しみがこの事件を通して我々に訴えかけているという
ハーメルンの市民により私の記録簿の書き留められたないようは以下の通り。
キリスト誕生後の1284年。ハーメルンの町から連れ去られた。それは当市生まれの130人の子供たち。笛吹き男に導かれ、コッペンで消え失せた
これを元にグリム兄弟が『笛吹き男』という題名で作品をつくり、その30年後にはロバート・ブラウニングが『ハーメルンのまだら色の服を着た笛吹き男』という詩を作る
内容は若干違うものの大筋は同じ
そのグリム童話の前にすでにこの話を書いている人物がいる。アタナシウス・キルヒャーという自然科学者が「普遍的音楽技法」というタイトルでグリム童話と内容はほぼ一緒
キルヒャーの作品には、1200年頃にハーメルンの町にネズミが急に繁殖して市民を困らせていたことを詳しく書かれている。おそらくそういった研究をしていたということだろう。
そこで著者はキルヒャーよりも前に似たようなことを記録してる文献を探し当てた。1566年に出版されたヨハネス・ヴィエルスの『悪魔の幻惑について・・・・』
1538年にネズミの被害があり、放浪の冒険者アーベントイアーによって駆逐されたと書かれておりさらにこの話にハーメルンの鼠捕り男伝説が挿入されている
これにより、グリム童話の元ネタがこの1566年に出版されたヨハネス・ヴァエルスの作品。そしてネズミ捕りの男もここで初めて登場する。それまでは市民による記録簿の内容どまり
このように考察していく流れがなんとも推理小説を読んでるようで面白い
もちろん著者からすればこのヨハネス・ヴィエルスという人物について興味がでる。調べてみると医者であり読書階級ということもあり当時の魔女裁判に関して猛烈に反発していた人物。もちろんローマ教会から目をつけられていた。そんな時、書き上げたのがハーメルの笛吹き男の話
1284年6月26日というのもここで書かれている。そしてこの日付が一つのキーポイントでヨハネ・パウロの日。
つまり6月26日は、4世紀のローマ帝国で起きた聖ヨハネと聖パウロの殉教を記念する日。彼らは兄弟で、皇帝ユリアヌス・アポスタタ(Julian the Apostate、在位361-363年)の宮廷で軍人や役人として仕えていた。ユリアヌスはキリスト教から離脱した異教復興主義者で、キリスト教徒を迫害。彼らの物語によると、ユリアヌスはヨハネとパウロにキリスト教を捨てて異教に改宗するよう命じましたが、二人とも拒否したため、秘密裏に処刑された。具体的に、362年頃の6月26日に自宅で首を切られて殺害され、その遺体は家の中に埋められた。この出来事は、初期キリスト教会の殉教史の一部として記録されており、後世に彼らの家の上に聖ヨハネ・パウロ大聖堂(Basilica of Saints John and Paul)が建てられる。
これらの情報により、僕はヴィエルスが書き残したかった理由は魔女とされてる人間こそがネズミ捕りの笛吹きであるということを全力で伝えたかったのではないかと感じた。
※1565年頃のヨーロッパでの魔女狩りは、16世紀中盤から17世紀初頭にかけての「魔女裁判のピーク期」の始まりに位置づけられる。この時期、特に神聖ローマ帝国(現在のドイツ地域を中心に)、スコットランド、フランスなどで魔女裁判が激化し、数万人規模の犠牲者を出した。魔女狩りが起こった主な原因は、宗教的・社会的・環境的な要因が複合的に絡み合ったもので、単一のきっかけではなく、時代的な不安定さが背景にある。
宗教的要因:宗教改革と宗派間の競争。社会的・経済的要因:不安定な社会とスケープゴート。環境的要因:小氷河期と自然災害
調べていると、どうも市民のガス抜きで魔女狩りを行っていたような感じがする。その状況をなんとか変えようとしたのがヨハネス・ヴェエルスだったんじゃないかなと。
著者の調査により、1284年6月26日130人の子供達が失踪した事実はゆるぎなさそうだと結論付けてくれた
2章では130人の子供達がどうして行方不明になったのかを考察してる


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