静かなる心地よい風

大学時代、世話になった同級生がいる。

彼の親父さんには特に可愛がってもらった。このGWに久々にお会いできたらと先日連絡をいれた

話土産の一つにとやってきたのが紀州

親父さんの故郷となる

旅先の決め方ってのはいつもこんなもん。話のネタになればといったぐらいの感覚

ミカン畑の急こう配を車で駆け上がり紀ノ川を見下ろした

おおっていた雲が風によりながされ青い空となる。自身も骨まで透けていくような思いがした

今だったら考えられないぐらい甘えに甘え倒してたと恥ずかしく思う

でも、そのおかげで今の自分がある

引き寄せられるように

和歌山県有田郡広川町にある広八幡神社(ヒロハチマンジンジャ)

これは紀州(現在の和歌山県)に関連する神社で、八幡神を主祭神

歴史: 6世紀に別の地域で建てられ、室町時代(1336-1573年)に現在の場所に移される

文化的重要性: 重要文化財に指定された建物があり、1854年の地震で村人を救った浜口梧陵の記念碑で知られている

ラフカディオ・ハーンの「生き神」という物語として語り継がれてる人物でもある

ラフカディオ・ハーンの「生き神」

和歌山県広川町の村長、浜口梧陵が主人公

ある夜、収穫祭の最中に地震を感じ、海が異常に後退していることに気が付いた

過去の経験から津波が来ると悟り、村人を安全な場所へ導くために、自分の稲束に火をつけた

これにより村人は高台に避難し、津波から逃れることができた

浜口は自分の財産を犠牲にしましたが、村全体を救うことが出来た

その後、彼は防波堤を建設し、教育機関も設立

村人たちは彼の行動に敬意を表し、シャイントウの伝統で「神」として崇めた

著者ラフカディオ・ハーンについて

ラフカディオ・ハーン(1850-1904)は、ギリシャのレフカダ島で生まれ、アイルランドとアメリカで育ちました。

1890年に日本に移住し、「小泉八雲」として知られるようになりました。

彼は日本文化と民話を英語で紹介し、特に怪談や仏教関連の作品で有名です。

「生き神」は1896年に書かれ、1897年に「仏田の収穫」に収録されました。

この作品は、彼が日本人の精神性と自然災害への対応を西洋に伝える試みの一環でした。

自己犠牲をいとわず冷静な判断で人々を救ったという話が胸にささった

その後の貢献

津波後、浜口は個人的な資金を使って600メートルの防波堤(幅20メートル、高さ5メートル)を建設し、将来の津波被害を最小限に抑えました。

また、日本剣術と中国古典を教える私塾を設立し、村の復興と教育に貢献しました。

どこまでも立派な人だったみたい

著者である小泉八雲という人物にもどこか親しみを感じる。54歳で死没

いい話土産が出来たとホッとした

安政南海地震

地震の基本情報

  • 日付: 1854年12月24日(1854-12-24)
  • 現地時間: 16:00
  • マグニチュード: 8.4(リヒタースケール)
  • 震源地: 約33°00′N 135°00′E(地図リンク
  • 断層: 南海メガスラスト
  • 影響地域: 日本、特に東海地域

被害と影響

地震は広範囲にわたる被害をもたらしました。以下の表に詳細をまとめます:

項目情報
死者数3,000人以上
建物被害30,000棟以上(5,000棟破壊、40,000棟大損、6,000棟火災による損害、15,000棟津波で流失)
地震の強度JMAスケールで5以上、四国と近畿沿岸部では6
津波の高さ最大8.4メートル(例:須崎地区の大野郷で8.4m、土佐の宇佐で7.4m)
追加の津波効果上海(中国)でも観測され、黄浦江で2~3チの水位上昇

津波の被害は特に大きく、死者数は予想よりも少なかった理由として、前日の1854年東海地震(マグニチュード8.4)で多くの人が沿岸部から避難していたことが挙げられます。

地質学的背景

安政南海地震は、南海トラフのメガスラスト地震の一環で、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことで発生します。この断層はA~Eの5つのセグメントに分かれており、単独または組み合わせて破壊されることがあります。歴史的に、これらの地震はペアで発生することが多く、1854年の東海地震と南海地震のように短い時間差で起こることがあります。

連続する地震の系列

安政南海地震は、以下の3つの大地震の一部として見られます:

  1. 1854年東海地震: 1854年12月23日、マグニチュード8.4で東海地域に被害(1854 Tōkai earthquake Wikipedia)。
  2. 1854年安政南海地震: 1854年12月24日、マグニチュード8.4で南海地域に被害。
  3. 1855年安政江戸地震: 1855年11月11日、マグニチュード7.0で関東地域(現在の東京)に被害(1855 Edo earthquake Wikipedia)。

これらの地震は、南海トラフの複雑な地質活動によるもので、短期間に複数の大地震が発生する可能性を示しています。

これこそが後に起こりうるであろう

南海トラフ地震となりそう

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